住宅は生活をする場である。各人に個性があるように各家庭に個性がある。そして、各家庭に特有のライフスタイルがあるはずである。自分たち独自のライフスタイルをどれだけの人々が確立しているだろうか。過去の習慣や制度にとらわれることなく自分たちが本当にしたい暮らし方をどれだけの人々が実践しているであろうか。現在建てられている住宅の大半がまだ古い慣習にしばられている。そこから自由になって自分たちのオリジナルのライフスタイルをつくり、それに従った住宅をつくるべきである。つまり、「形態はライフスタイルに従う。」と考える。

現在、日本の住宅の大半はLDK+個室という間取りを採用している。これは、戦後、公団が導入したである「寝食分離」(寝る所と食事するところを分離するという欧米流の合理主義的考え)のDKスタイルに端を発し、発展してLDKとなっている。この合理的とは欧米的価値観による「理」であり、日本的「理」ではない。「理」はそれぞれ固有の文化を背景としており普遍的なものではない。衛生的、機能的という観点からの意義は認められるが、日本の狭い住宅では、すべての部屋がどのようにも使えるべきであるという柔軟な構造の優れたところは忘れられてしまった。同時に、「夏を旨とすべし」という言葉に代表されるように、障子、ふすまの引き戸を開け放てばすべての空間が庭を含めて連続するという日本の風土に適応した構造も忘れられてしまった。モダニズムがめざした明るく開放的な空間は伝統的な日本の空間と共通する美学を持っていたはずである。新しい習慣を採用しつつも古い優れた文化からは学ぶべきである。

日本人にとって、LDKという特定の空間に特定の機能を限定し、リビングセット、ダイニングセットという機能が限定された家具を使うライフスタイルがなじむものであろうか。私たちは「日本人の家具」というプロジェクトでライフスタイルと家具の使用に関する調査を行った。その結果は所有している家具をうまく使いこなしていないというものであった。家のなかでは靴を脱ぐという日本では当たり前のライフスタイルが今使っている欧米式の家具に適応しているとは思えない。食事は椅子座で行っているひとが多いが、その後のくつろぎのときは床座の方が多い。このことひとつとっても今日のライフスタイルは混乱していると言わざるをえない。また、食事の場とくつろぎ、団欒の場を分けるというスタイルが狭い日本の住宅空間において適切であろうか。現代日本においては「食」は重要なコミュニケーションの場であるはずである。その場の展開の仕方は各家庭それぞれであろう。その振る舞い方は明確にし、それを空間に反映すべきである。
以前は年に何回あるかわからない来客のために一番環境のいい部屋を客間として位置づけ、結果として使わない部屋にしている家が多かった。しかし、今日ではそのことの不合理さに気づき、多くのひとが家族のための部屋を第一に考えるようになってきた。これは古い習慣から自由になり新しいライフスタイルをつくろうとしているのである。
一方床の間がなくなった住宅はどうであろうか。四季の変化を愛する日本人が家のなかではそれを楽しめなくなってしまった。本格的な和室を復活させる必要はない。洋室であっても床の間のような空間をつくることは可能である。これが古い文化から継承すべき点を抽出し現在のものと調和させるべきである。

このように今日のライフスタイルが本当に日本人の生活、環境、文化にあったものであるか、伝統と現在の問題点を比較検討し考えたい。限られた空間のなかで家族がより豊かな生活をするためには、古い文化を大事にしながらも、形骸化した習慣と真に意義のある習慣とを区別し、自分たちの価値観にあったオリジナルのライフスタイルを確立することが必要である。それは各人各様であるべきである。お仕着せではなく、他人の目を気にせずに、他人がしているからというのではなく、オリジナルの本音のライフスタイルを確立することが真に豊かな生活をするためには必要である。そして、そのお手伝いをするのが建築家の役目だと考える。