建築は単なるシェルターではない。しかし、その基本的な目的のひとつとして雨露をしのぐことと外敵から守るということがあり、その中にプライバシーの保護がある。特に現代社会においてプライバシーが守られているということは、安心してくつろぐためには重要な要素である。プライバシーとは、自己のアイデンティティーを確立するために必要な私性だと考える。しかし、過度のプライバシーの保護はコミュニケーションの断絶につながり、社会に対しても拒否的になる。そこで、プライバシーとコミュニケーションのバランスをとることが必要であり、それは住宅における重要なテーマのひとつである。

この問題には二つの面がある。ひとつは家族と社会の間のプライバシーであり、もうひとつは家族間のプライバシーである。現在、日本の住宅の多くは、外部に対して無防備であり、内部においては家族個人個人に対して閉鎖的でバランスがとれていない。

まず、家族と社会の間の問題において、対外的なプライバシーを守るための公的空間と私的空間の境界をどの位置に、どのように設けたいかは個人差がある。しかし、その個人が自己を確立させ、積極的に社会と関わろうという気になるためには、まずその人なりのプライバシーが守られているという安心感があることが必要である。つまり、「私」が「公」とつながるためには「私」が守られ、確立していることが前提となる。さらに言い換えると、プライバシーを守ることはコミュニケーションの活性化につながる。現在の日本の住宅でそのプライバシーが充分に確保されていないのは、敷地の狭さや環境の悪さによることが多い。敷地が狭くて緩衝帯となるべき充分な外部空間が確保できないが、採光や眺望のための大きな開口は欲しい。その結果、プライバシーのない住宅となってしまう。住宅においても、社会と、地域と、コミュニティーとつながるために保証されるべき最低限のプライバシーの確保が必要である。そのためには、住宅を含む敷地全体と外的環境とがバランスをとることが必要である。これは必ずしも緩衝帯としての外部空間を大きくとらねばならないということではない。内部空間が豊かになるようにバランスをとってプライバシーのある外部空間をとることが必要である。そして、外部と隔離してしまうことなく、環境の一部として、街並みの一部として参加し、調和したものとなるようにすべきである。しかし、プライバシーを守るということが外部に何も表現しなくて良いということではない。むしろ、住宅を建てることが自己表現のひとつであるようにすべきである。

つぎに、家族間のプライバシーについて考える。戦後、日本の住宅においてもっとも変化したのは寝食分離というスタイルと個室の充実である。しかし、個室が充実したほど、個人の在り方が成熟していない。個室が充実した分コミュニケーションが薄くなっていないだろうか。その結果「公」と「私」の健全な関係が確立されないまま「私」だけが孤立していくことになる。そのような今の住宅状況が日本の家族関係を不安なものにしているということは深刻な問題である。かつては家庭内で個人のプライバシーがないのは住宅の構造上やむえないものであった。その構造だからこそ成立していた家族関係の良い部分もあったのではないだろうか。しかし、現在の状況で個人のプライバシーを否定することはもはや出来ない。そこで、個室を肯定した上で家族のゾーンとどのように連続させるかという工夫が必要になってくる。

私は住宅の計画において何よりも、家族の在り方としてプライバシーとコミュニケーションのバランスをとることが重要なテーマであると考える。家族間のプライバシーとコミュニケーションの関係は最低限のプライバシーを守りながら密度の濃いコミュニケーションを持つことができる関係でありたいと考える。そして、外部に対しては、採光や通風という物理的に快適であることとプライバシーを確保した精神的に快適であることとを両立させた魅力のあるものとし、社会に対しても関係性を持ち、自己表現ができることをめざ
したい。